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第8回 一願不動で世界チャンピオンへ〜プロボクサー、嶋田雄大選手〜

ごしんじょう療法はプロスポーツ界にも浸透している。痛みや炎症をその場で抑えるという即効性に加え、全身に力がみなぎり、運動機能が高まるという。元日本ライト級王者で、テレビやボクシング専門誌でも度々特集される人気のプロボクサー、嶋田雄大選手(しまだ・たけひろ、38歳)は「ごしんじょうは僕の武器」とまで言う。

試合直前、右拳の剥離骨折

ごしんじょう療法 第49代日本ライト級チャンピオンの嶋田選手は平成16年11月、5度目の防衛後、タイトルを返上した。当時33歳だった。
マイク・タイソンに憧れ、ニューヨークへ。25歳でデビューし、30歳で日本王者に。遅咲きながら国内に敵なしの嶋田選手は、世界チャンピオンを目指し、タイトル返上後、7戦7勝で世界タイトルマッチを待機した。
ようやく平成19年1月に初の世界タイトルマッチが予定されたが、それを控えた平成18年9月、嶋田選手はあろうことか、右拳を剥離骨折してしまう。待望の世界挑戦をキャンセルするという無上の悔しさを味わうことになった。
嶋田選手にインドネシア王者のラモナ・プルバ選手との戦いが組まれた。試合日は平成19年5月22日。
この一戦は嶋田選手にとって、世界タイトルマッチを再び呼び込むためのアピールの場。絶対に勝たなければならない。だが、嶋田選手はスパーリング中、またも右拳を剥離骨折。試合の3週間前だった。
嶋田選手は約2週間、右手をテーピングでガチガチに固めたが、テープをとると骨折した右手は全く使いものにならない状態だった。痛みのために、シャドーボクシングどころか手を握ることさえできない。
「もう、ごしんじょうしかない」
嶋田選手は、握ることもできない右手を抱えるようにして貴峰道へ向かった。

骨折の右手でKO決める

骨折治療で貴峰道を訪れたのは平成19年5月18日、プルバ戦の4日前だった。
痛みで握ることができなかった右手は治療後、なんと、その場で拳を作り、嶋田選手は貴峰道の治療室でシャドーボクシングを始めた。
翌19日、プルバ戦3日前。
2度目の治療を終えると、嶋田選手は木の床に拳をつき、拳で腕立て伏せをする「拳立て伏せ」をしてみせた。骨折による腫れもほとんどひいていた。
翌日も貴峰道に通い、3日連続のごしんじょう治療を受け、嶋田選手はプルバ戦に臨んだ。
平成19年5月22日、満席の後楽園ホール。
試合前、念のため医者から痛み止めの注射を患部に受けたが、「右手を使うとその場で腫れあがる」と指摘されていた。
嶋田選手は4ラウンドまで、ほぼ左1本で戦った。右手骨折の経験から、嶋田選手は左の練習を重ね、左ジャブのキレは格段に良くなっていた。だが、ここぞという時に利き腕の右を使わなければ、決められない。
「嶋田! 右を出せ、右を! 決めろ!」
ファンの声援が高まる。誰も嶋田選手の剥離骨折を知らないのだ。
5ラウンド。嶋田選手の左ジャブがプルバ選手をとらえ、続いて嶋田選手の右が左脇腹に入ると、後楽園ホールに鈍い音が響いた。次の瞬間、プルバ選手がリングに崩れ落ちた。嶋田選手は骨折していた右手でKOを奪った。
試合後、嶋田選手はヒーローインタビューでマイクを持ち、観客席に向かって「貴田先生、ありがとうございました」。貴田晞照氏は手を叩いてそれに応えた。
最後に世界王座への自信を聞かれ、嶋田選手は「必ず世界チャンピオンになります。一願不動です」と力強く言い放った。

細胞の再生機能が高まる効果も

「それまでも、ごしんじょう療法が体の調子を整えるのには最適な治療であることは実感していましたが、あの剥離骨折の時ほど、ごしんじょう療法のすごさを実感したことはありません」と嶋田選手。
「逃げられない試合の4日前に痛みで右手を握ることもできない状態でしたから、左1本でなんとかしようと考えていました。ごしんじょう療法でその場で痛みがとれ、握れるようになった時の感動と喜び、安心感はもう忘れられません。完全に『これはいける』と思いましたから。それ以上は説明のしようがありませんが、とにかく貴田先生のごしんじょうのおかげです」
医師の指摘に反して、嶋田選手の右手は試合後も腫れあがらなかった。その後もごしんじょう療法の治療を続け、平成19年11月の試合では、タイの選手を相手に「人生最高の右フック」(嶋田選手)でKOを決めることができたという。
最近ではこんな症例もある。
5度のクラブチャンピオンを取っているゴルファーが、肩の腱板(棘上筋)を断裂。6カ月間毎週1回、両肩にヒアルロン酸を打ち、痛み止めを飲んでいた。それでも痛みがとれず、まともなスイングができなかった。ところが、貴峰道でごしんじょう療法を受けると、1回の治療でほとんど痛みがとれ、治療2回目で完全に痛みが消えた。数日後にゴルフをしたが、痛みがなく、本来のフォームでゴルフができたという。
かかりつけの大学病院の医師は、肩に痛みがないことに驚き、CTを撮った。すると断裂した棘上筋がくっついていた。棘上筋は一度断裂したら元に戻らないため、医師は「なぜくっついたのか、分からない」と言ったという。
「ごしんじょう療法は、痛みを即時的に消し、炎症を速やかに鎮めます。さらに邪気がとれると本来の体の再生機能が最大限に働きます。嶋田選手の場合、ごしんじょう療法で骨折の痛みがその場で取れただけでなく、速やかに再骨化したのだと思います。だから右パンチでKOした後も右手が腫れなかったのです」と貴田師は説明している。
再骨化といえば、ある大腸がんの患者が多発性骨転移で腰椎と骨盤が浸食され、下半身完全麻痺となったが、連日のごしんじょう療法で腰骨が再骨化。主治医から「回復不能」と診断されていた足が動き出し、自立歩行や車の運転ができるまでに回復した例もある。
細胞の再生と再骨化。にわかには信じ難い現象がごしんじょう療法ではしばしば起こる。消化器がん外科医、梶川憲治医師は、新聞の医療連載記事に「ごしんじょう療法には無限の可能性がある」と記したが、まさにその通りだろう。

集中力が高まり、減量にも効果

嶋田選手のごしんじょう治療歴は長く、知人の紹介で貴峰道を最初に訪れたのが平成14年10月25日だった。治療後、「とにかく体が軽くなって、透き通るような感覚になった」ため、定期的に治療に通うようになり、試合前には詰めて治療を受けている。
ごしんじょう療法 「治療を続けているうちに、治療中に、自分の体から何かがフワっと煙のように抜けていくのを感じるようになりました。今では具体的に手がビリビリと感じます。とくに、貴田先生が最後に祓いをした時は、手のビリビリ感が強くなり、気の力のすごさを実感します。治療後は体がとにかく楽になり、心身が研ぎ澄まされ、全身に力がみなぎります。体がよく動くようになるし、集中力と闘争心が高まり、感覚がひとつになっていきます。本当に不思議です」
嶋田選手は、自分でもごしんじょうを持ち、日々ごしんじょう療法を実践している。ごしんじょう療法によって減量もスムーズにでき、イライラした時や頭がすっきりしない時にごしんじょうで頭をさすると、心が鎮まるのだという。
嶋田選手の場合、ごしんじょう療法に対してだけでなく、治療家としての貴田師への信頼も厚い。
「貴田先生はごしんじょう療法を編み出し、病に苦しむ人のために、ただひたすらにごしんじょう療法をやり続けておられます。その貫き通す姿にはすごく励まされますね。ひとつのことを信じて願い実践する。貴田先生の人生はまさに一願不動だから、考え方や気持ちが全くぶれない。一願不動という言葉は貴田先生に教わりましたが、僕も貴田先生と同じで、世界王者になるという一願不動です」
嶋田選手が所属するヨネクラボクシングジムの米倉健司会長は、「私が今まで育てた選手の中で、一番、心・技・体が揃った選手」と嶋田選手を評している。嶋田選手の心の強さは、「一願不動」の精神にあるのだろう。

ごしんじょうを"武器"に世界王者目指す

ごしんじょう療法 嶋田選手の初の世界チャンピオンへの挑戦、WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチは平成20年6月12日、エドウィン・バレロ戦だった。日本王座を返上してから3年半、36歳になっていた。
当時26歳のバレロ選手は23戦23勝23KO。デビュー以来18連続1ラウンドKOの世界記録保持者という怪物だ。バレロ優勢は誰の目にも明らかだったが、嶋田選手は果敢にカウンターを狙った。7ラウンドで怪物の右フックを浴び、レフリーストップ。嶋田選手の王座獲得はならなかったが、バレロ選手は「これまでの相手で一番強かった」と嶋田選手を絶賛。試合後に嶋田選手の控室を訪れ、「ユー、強い、強い」と片言の日本語で嶋田選手を称え、ベネズエラの国旗をプレゼントしたという。
今年7月にはパウルス・モーゼス選手とのWBA世界ライト級タイトルマッチがアフリカの南ナミビアで行われた。途中で嶋田選手がリング上の水滴でスリップし、肉離れを起こした。12ラウンドを戦い抜いたものの判定で負けた。
嶋田選手は再戦を希望し、現役続行の意志を表明。嶋田選手は試合には敗れたが、肉離れしても最後まで戦い抜いたことがWBAに評価され、世界ランクは維持された。
「バレロは怪物でしたけど、モーゼスは手ごたえがありました。スリップダウンするまではよかった。世界王者になれる可能性はまだまだあります。今38歳で、よく年齢のことを言われますが、38、39、40歳あたりまでは、バリバリなところをもっと見せていこうと思います」
嶋田選手はアフリカにもごしんじょうは持って行き、試合前は儀式のようにごしんじょうをやる場所を決めてやっているという。
ボクサー仲間にごしんじょう療法の話をしたことがあるかを尋ねると、「誰にも言ったことはありません。世界王座を狙う今は、ごしんじょうは僕の"武器"だと思っていますから」と嶋田選手。"武器"という表現に、ごしんじょうへの信頼度が伝わる。
「視力は左右とも2.0。僕がこうやって世界チャンピオンを目指してまだまだやれるのも、目に見えない大きな力で生かされている感じがします。そして、貴峰道に来てから7年経ちますが、世界チャンピオンを目指して、貴田先生と一緒に戦い続けてきたという感覚があります」
多くのファンに励まされ、ただ真っ直ぐに世界王者を目指す。
「僕は今が一番強いですよ」と言い放つ時の嶋田選手の目の輝きは、力強さだけでなく、崇高美さえ感じさせる。

平成21年12月12日
久保田正子